小学生の頃は、『英会話習ってるの~』って子がいたら、
え~!
◯◯ちゃん、英語話せるの?
すごいなぁ
…と、思っていました。
だって、ピアノを習ってる子は(どの程度であれ)ピアノが弾けるし、プールに通っている子は、泳げるだろうから。
でも、中学、高校と勉強するにつれて気付いたけど、英語の場合、そう簡単に『出来る』『話せる』ってことには、ならないらしい。
私も、、、
- 英語
→学校の授業にはついていけたし、テストも悪くはなかったけど…「英語は出来ない・話せない」と思っていた。
- 水泳
→習ったことないけど、バタ足は速い。
クロールは自己流で、バタフライはやったことすらない。それでも…「自分は泳げる」って思っていたし、言っていた
じゃあ、どうしたら『英語が出来る・話せる』ってことになるんだろう。
「出来る」基準や、「ペラペラ英語」より大切なことについて、私が思うことを書いています。
英語が『出来る』ハードルを上げていない?
小学生の頃は、『英会話を習っている=英語が出来る・話せる』と思っていました。
中学1年生になり、数学の先生が「エー・ビー・シー・デー」って言ってるのに、英語の先生が「エイ・ビー・スィー・ディー」って言ってて、
おー!
かっこいい~。
◯◯先生は、ペラペラなんだ。
って、思っていました。笑
中学2~3年生になると、英語の先生の中でも、「英語が上手な先生」「下手な先生」に分類されていました。
そして、高校生。
帰国子女が編入してきたり、留学プログラムから戻ってきたりした子の英語を聞いて、
教科書のCDと全然違う…。
ペラペラだ…。
…と、ビックリしながらも、うらやましいなぁと感じたり、出来ない自分を恥ずかしいと思ったり。
大学生になると、もっと色んな人が周りにいて、
あの子は帰国子女だけど、親が日本人だから発音が下手
◯◯ちゃんは、高校で留学したらしいけど、文法がめちゃくちゃ
◇◇(芸能人)はインター卒らしいけど、あんな英語で恥ずかしくないのかな?
…など、一般的には『英語が出来る』『ペラペラ』と言われている人を批判する声が聞こえてくるように。
自分も、勉強すればするほど、細かい文法や発音の違いが気になるようになり、『英語が出来る・話せる』という理想は遠ざかっていく一方。
もともと英語が好きで、海外に興味があって勉強していたのに、苦痛を感じることも増えてきました。
“ペラペラ英語”より大切なこと
そこで私は、英語を楽しんで使っている人たちの輪に入ることにしました。
英語を話すことに自信はなく、自分は国際学部でも何でもなかったけど、同じキャンパスでひっそり行われていた英語のクラブを発見して参加。
10人くらいのクラブで、アメリカ人の顧問の先生以外は、日本人か中国・台湾人。
自分の好きなことや出身地、お互いの文化について話したり、留学経験者から話を聞いたり…
英語が”出来る人”からすれば、私たちの英語は流暢ではなかったし、間違いもたくさんあったと思います。
でも、英語を話すとき、大切なのは相手に伝わるか、どうか。
自分の話に興味を持ってもらえたり、相手について知りたいことを質問して、『会話』が出来るか。
その後、私はこのクラブに参加したおかげもあり、奨学金で英語圏の大学院に留学できることに
それから、さらに思ったのですが、重要なのは、英語がペラペラかどうかより、自分の考え・意見があるか。
レポートや筆記試験で例文通りの英語を書くことにこだわるより、自分の考えを述べることの方が大切。
プレゼンテーションで、準備した綺麗な英語の原稿をただ読み上げるより、多少つたなくても、自分らしい作品を自分の言葉で発表したほうが、聞く人は興味を持ってくれる。
友人と話すとき、ネイティブっぽい相づちを打ったり、スラングばかりで反応するより、1つでも自分の思ったことを言ったほうが、相手との距離は近くなる。
…と、私は思います。
もちろん、『英語が出来る』『ペラペラ』という状態を目指すかどうかは、個人の自由なので、別にどっちでもいいと思います。
でも、どれだけ”出来る”ようになっても、劣等感からか、どうでも良いことを批判してくる人はいるので、他人より、自分の基準を大切にしたほうが良いですね。
(英語が母国語なのに、顔がアジア系だからと言って、「発音が変だ」「英語が下手だ」と決めつける人も見かけるので…。)
今回は、
英語が出来る・ペラペラの基準
英語を話すときに大切なこと
…について、書きました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました
まとめ
- 英語がペラペラかどうかより、相手と楽しく会話できるかの方が大切
- 自分で『英語が出来る』基準を上げすぎてしまわないように注意
- 相手に考えを伝えたり、自分の意見を言ったりすることも重要